濱海県紹介

濱海県(はまうみけんと呼ぶことにする)を訪問した。正確に地名を言うと江蘇省塩
城市濱海県となる。場所は江蘇省の最北端に連雲港市があるが、その連雲港市の南側
に隣接して東西にやや長い四角い地形で県名にあるとおり東は海岸に面している。つ
いでに連雲港市を先に紹介すると、昔昔ここは孫悟空が三蔵法師に助けられた場所で
あり、下敷きになっていた(ことになっている)岩が今もあるという。また汽車の発
着駅でもある。日本の北海道から九州を往復するほどの距離になるシルクロードのウ
ルムチを通りはるかヨーロッパまで線路は続くという。日本に関係する産業では海苔
の養殖が盛んで日本の業者が札入れ方式(というのであろうか)を持ち込み、年に1
回入札式の海苔購入を行っている。又近く原子力発電所が稼動する予定でもあるよう
に比較的知られた町である。
濱海県を訪問したのは幾度も強い訪問要請があったことと、お盆休みというものがな
いので休養を兼ねて神戸館スタッフ一同でお邪魔することにした。出迎えが来るとい
うので待っているとわざわざ副県長が上海まできてくれてその熱心なことにまずは驚
かされた。39歳ぐらいのこの副県長は張宏春氏といい昨年までは濱海県15鎮の一番大
きな人口(21万人)を持つ東けつ鎮(とうけつと勝手に読むことにする、けつは土偏
に欠ける)の鎮長であった。昇格して現在は副県長兼東けつ鎮の党書記をしている。
濱海県の人口は107万人。産業は主として農業である。いちばん有名なものは、「何
首烏」。全国の90%を産する。地図帳にもこの地の特産品と出ている。ものの説明に
よると中国に4大仙草がありその一つとある。他は霊之と田七人参それに冬中夏草、
この3つは聞いたことがある。しかし何首烏というのははじめて聞く名前だ。上海か
ら濱海県に向かう車中で副県長に尋ねてみた。こんな質問でもしないと時間がもたな
い。張氏は見たところ体重80数キロのわりにはエネルギッシュ。学生時代は短距離選
手だったとのこと。ちなみに大学は南京大学。やはり江蘇省っ子である。質問をする
と待ってましたとばかり話が始まった。これは植物で形は人参に似ているが人参では
ない。一番の効能は髪が黒くなるということであるが参考のために以下中国分ながら
説明文を記す。〈止心通、益血気、黒須発、悦顔色、久服令人長筋骨、益精髄、延年
益寿〉粉末やスライスしてお茶のようにして飲む。何首烏の効能は比較的最近発見さ
れたようであるが現在日本の研究者が新製品に応用するため成分抽出の研究をしてい
るとのことであった。その研究者は張氏が招き滞在中の世話一切をしており開発が完
成すれば合作すると大変誇らしげであった。興味のある方は問い合わせていただきた
い。
もう一つは、今年で日中国交回復30周年になるが田中角栄元総理が1972年に周恩来総
理と歴史的会見したときに語ったことによると、元総理は戦時中小隊長としてこの付
近で戦っていた。この地の西方200kmには歌にもでてくる徐州があるのでその作戦に
参加したのかもしれない。ちなみに徐州も江蘇省内である。そのとき飲んだ地元の白
酒(しろざけと読むと感じが伝わらないのでバイチュウとする)「五醍漿」をなつか
しんだ。その話を聞いて周総理は後日五醍漿を地元から取り寄せ2ケース元総理宛
送ったとのことである。この産地が当地である。私もお土産にもらったが見ると五醍
漿のラベルには赤字で「国優」とあり酒度は53%濱海五醍漿酒廠:江蘇省濱海縣とあ
る。なるほど濱海県そのものである。五醍漿の特色は香りがあり飲みやすく中国にバ
イチュウは数あれど5本指に入る銘酒である。名にあるとおり5種類の香料が入ってお
りそれが独特の香りをかもし出す素になっている。以上のような説明を通訳を通じて
長々と聞いたが5時間の長旅には丁度よい。偶然であるが周恩来総理も江蘇省出身
で、濱海県から50kmくらいの距離の淮安という町で、いまは故居として保存されてい
る。日中会談ではさぞかし話が弾んだことであろう。余談ながら帰りに乗車していた
車のパンク修理のため淮安市を通ったが帰りを急いでいたため周総理の故居の方向を
示す表示板を見ただけであった。しかし回り道をしたおかげでいい物を見た。まっす
ぐな道にそって運河が流れておりこの運河こそ千数百年前に隋の煬帝が築いたもので
勿論現在も水運に利用している。運河は非常に便利なもので最近も築かれ新旧取り混
ぜて経済活動に役立っている。われわれの走っている道は堤防のように少し高くなっ
ておりおそらく運河を掘った土を盛り上げて道路にしたものと思われる。運河ととも
に道路整備も併せて行ったのであろう。道路は4車線の幅があり現代でも充分な広さ
である。いい仕事は何千年も役に立つ。
無錫市で高速道路が2つに別れ北方面に進路を取る。こちら方向ははじめて通る。南
京市に向かう道より両側の緑が多い。ここまで2時間半かかった。ここでお昼の休
憩。距離としては100kmしか進んでないが雨のため事故が2箇所あったのと大きな工事
により大渋滞をきたしていたので仕方がない。ドライブインは斬新だ。車道をまたぐ
陸橋がそのままレストランになっている。したがって眼下に高速道路上を行き来する
車を見下ろしているのである。日本ではとてもとても建築の許可はされないだろう。
内部は今まで入ったドライブインとはまったく違い新しい。設計者は誰かと聞くとま
たもや胸をはって中国人です。と応えた。遠くから見る外観は高速道路をまたいで大
きな宣伝用構造物があるのかと思ったくらいで奇抜な形の建物を好む国民性から出た
発想としか思えない。しかしなるほど景色はよい。テーブルを囲んで又演説が始まっ
た。こんどは料理についてである。場を盛り上げるための話は勿論必要であるがここ
場を盛り上げるための話は勿論必要であるがここの人たちはそんな気遣いとはまったく
別次元でただおしゃべりなのである。と私には思える。
当館の羅君までもが同様で仲間内で食事をすると彼の演説が始まりいつ終わ
るとも知れない。私はただ食べるのみである。接待者が話の場を持つのは食事を楽し
んでもらうため一つの仕来りのようであるが、無口を身上とするこの身にとってはこ
れが一番辛い。ここでの話題は無錫の料理についてであった。無錫というと「無錫旅
情」にある通り太湖がある。地図上で見る限り琵琶湖の1.5倍ほであろうかとにかく
おおきい湖である。勿論対岸は見えない。いろんな生き物がいるが食用としては3つ
の白が有名で、一つは「白魚」。小骨もなくとても食べやすい。大きな魚のわりには
大味でなく自慢するのも納得できた。次の白は「白えび」もう一つは忘れた。食べた
ものだけでも覚えておれば上等だ。無錫で有名な食べ物はもう一つあって、骨のつい
た肉。豚肉だがとても柔らかく調理法に秘密があるらしい。これと似たものは昆山市
にあった。丸いプリンがお皿にのっているようなかたちに似て、大きなお皿に豚肉が
丸ごとのせられて出てくる。柔らかいのでつつくと肉全体がゆれる。ナイフで切れ目
を入れるとまるで抵抗がないかのように片手で力をいれずとも自然に裂けていく感じ
で驚いたことがあった。こちらは骨はついていない、が色合いといい柔らかさ味付け
などからすると同じ調理法なのだろう。ちなみに無錫市と昆山市は鉄道駅では隣駅で
ある。なお、中国で一番大きな湖は青海湖、青海省にある。琵琶湖がゆうに3つはい
る大きさである。太湖は沿岸部に近いながら2番目の大きさゆえ観光地になるのも合
点がいく。
おなかが大きくなると車中では昼寝の時間。時々目を覚ます際の道端の景色は緑がま
すます濃くなってくる。

(濱海県紹介2)
我われは今濱海県に行く車中にいる。私の横には神戸館のいまや右腕
羅君がいる。後ろの座席に袁さんと通訳さん。その後ろに上海まで出迎えに来てくれ
た濱海県の副県長の張氏が座っている。私を除いてみんなでわいわいしゃべってい
る。

神戸館が入居している環球世界ビルの警備員さんの一人に日本語の話せる人がいる。
日本へは農業研修生として北海道に3回行ったことのある日本通だ。文化大革命の下
放がきっかけで中国最北端黒龍江省に移り住むこと30年。農業技術を習得し技術管理
者として仕事に励み定年を迎え、上海に戻ってきた。日本のことが懐かしい様子でよ
く話し掛けてくる。神戸館へのお客さんの出入りをも興味を持ってよく見ている。日
系企業はこのビルに何社か入っているのにどうして神戸館の訪問客とわかるのか、こ
この人は感がいいんだろう。彼の説明によると「県長」というのは「土皇帝」すなわ
ちその管轄地では皇帝なみの権力をもっている人物であるそうな。副とはいえ「土皇
帝」が迎えに来るとは凄いことですと驚いて見せてくれた。我われは長江プロジェク
トとして江蘇省政府をはじめ各機関の政府関係者とはよく会っているが一般の人たち
から政府役人を見るとそうした理解のようであるし、中国社会が今もってそういう状
態であることを認識しておくことはビジネス上でも大事なことである。
今話題の主、副「土皇帝」は通訳さんを相手にまだしゃべっている。通訳さんは面倒
になったのかそれとも話題がそれているのか、もう訳さない。それをいいことに私は
車窓を眺めている。今回の通訳は神戸館職員である袁さんの娘さんである。彼女はフ
ランスに留学しているが今は夏休みで帰省中。小学校・中学校時代は東京にいたので
日本語はまったく問題ない。フランスでも友人の日本人とは日本語で話し合っている
のでたどたどしさがない。流暢な若者言葉だ。日本語とフランス語のどっちが話しや
すいかと尋ねると日本語と答えた。よかったフランス語でお願いしますといわれる
と、こちらとしては眠り続けるしかない。語学は若いうちに限る。いくつもの言葉が
出来ると夢のなかではどうなるのかと思ったが、そのときはフランス語・上海語・中
国語・日本語といろいろ切り替わるそうだ。将来は国連職員を目指しているので、あ
いまいさがない故公用語になっているフランス語をしっかりマスターすることと法律
を勉強するのが課題であるという。卒業後はイギリスでさらに英語も勉強したいとい
う欲張り屋さん。バイリンガルである。それにくらべると上海駐在ぐらいなんのこと
はない(としておこう)。中国人は地元言葉に加えて中国語(普通語)を学校で習
う。家では地元言葉例えば上海では上海語、学校では中国語。小さいときからの頭の
切り替え訓練が日常的に出来ており、それが外国語学習に役立つのではなかろうか。
50歳を過ぎてからでは外国語は身につかないと言い訳のためにそう考えることにし
た。
車は休憩なしに走っている。窓の外は塩城市にさしかかった。あと1時間ほどで目的
地につけそうである。それにしても緑が多い。長江下流域の南側即ち江南は農作物が
豊かで北側は貧しいと聞いていたが、長江の北側にあたるこの地は今目の前にあり緑
が一杯である。雨が上がり木立の中のハイウエーを気持ちよく進んでいる。上海の浦
東空港から市内に向かう専用道路は3年前埃だらけの荒涼とした中を走るだけの味気
ないものであった。それが今では道の両側の木々が育ち別世界を走るようである。昨
年10月のAPEC上海開催のため市内緑化に大急ぎで取り組んだ結果であり、また2010年
万国博覧会上海開催の誘致にむけた取り組みであろうと考えていた。ところが緑化=
環境保護は上海だけではなかったようである。濱海県は域内面積のうち20%をすでに
緑化しているという。県内で工場建設をする場合、敷地内は30%の緑化義務を定めて
いる。あとで訪問した化学材料の模範工場は敷地内70%が緑=草花と芝生・背の低い
木で覆われていた。ここは三菱電機の合弁工場である。環境保護という点ではこの化
学工場はISO14000の取得は勿論であり廃水処理もしている、県内一の模範工場だ。こ
んな田舎といっては失礼だが地方都市でここまでの取り組みをしているとは中国社会
は本当に侮れない。
塩城市を通っているうちにこの町の紹介もしておこう。人口は約700万人都市名の通
り塩の交易で栄えた町である。わが羅君の言うところでは彼の小さい頃、塩は不足し
ていて貴重品だったそうである。その貴重な塩を、長い海岸線に塩田をつくり生産し
ていたのであろう。私の小さい頃親戚のあった播州によく行ったがその途上高砂付近
で山陽電車から見る風景に塩田地帯があった。日本有数の塩田地帯所謂赤穂の塩であ
る。見渡す限りの広い場所に海水を引き込んでから日光で水分を蒸発させ、残った塩
をかき集める作業をしていた。この作業工程を見る限り、塩の産地は海岸に近く平地
が広く日差しの強いところ、ということになろう。中国27省・自治区(直轄都市除
く)の中で海岸に接しているのは北から遼寧省・河北省・山東省・江蘇省・せっこう
省・福建省・広東省・広西荘族自治区と海に囲まれた海南省の9つである。せっこう
省から南は海岸が入り組んで港に適している。南方は古くから交易が盛んなはずであ
る。北のほうでは遼寧省の遼東半島と山東省の山東半島はお互いに向き合う形で突き
出ている。ここも天然の良港であるので塩の産地には適さない。河北省は海岸線がわ
ずかである。結論としてこの地域が塩の産地・集積地になっていったことは道理があ
る。おそらくかなりの歴史があるのではないだろうか。この地域の海岸線がまっすぐ
なのは数百年前まで(と聞いたがもっと前ではないかと思うが)黄河流域の河口が
あったからだ。黄河の蛇行で現在の河口は山東省にある。黄河がはこぶ土砂により海
岸が醸成されたのだ。いまも小さな河口はあり毎年2000ムー広がっているという。1
ムー200坪なので約132万u、およそ1km四方の面積が拡がり続けているとは信じられ
ない。通訳の間違いかもしれない。次回は海岸に行ってみよう。
なお、広さの話のついでに江蘇省の面積にもふれておく。統計のデータ−が手元にあ
るわけでないので地図帳をみながら説明する。江蘇省は南北に長く目測で600km、神
戸から東京を通り越して千葉まである。東西は約300km神戸から静岡あたりまで。面
積では、近畿2府4県が3つくらいは入りそうである。これでも、27省・自治区の中
で海南省・寧夏回族自治区が江蘇省より面積で小さいだけであとはもっと広い。中国
はバカデカイ。

鳥本敏明