第3回神戸社会人大学訪中団報告書

10月12(金)〜15(月)

中国視察ツアー

川西氏を代表に3名

上海

復旦大学

<中国・北京大学、東北師範大学交流ツアー平成13年10月12日〜15日)>

 

2001年度・神戸社会人大学 

中国視察ツアー随想      川西重忠(ベルリン自由大学)

 

 今年度の中国ツアーは、ニューヨークの同時テロの後でもあり、出発前から難産であった。9月初旬から約1ヶ月間、神戸社会人大学初の海外留学生2名をドイツから招請し、私自身が期間中アテンドにあたったせいもあって準備が思うように進まなかった。さらに同行予定者5名のうち鬼塚学長を含む2名がどうしても都合がつかなくなり最終的に3名でのツアーとなった。

 日程も最初の予定を1週間延ばしての決行となった。回った都市は、北京、大連、上海、香港である。もっとも香港は、帰りの北京、上海のフライトがビジーで取れなかったために仕方なく香港経由にしたもので、実質の旅程は北京、大連、上海の3都市である。武市さん、鳥本さんとは上海で合流した。

 第1日目の北京では、北京大学の窓口担当者の厳紹湯所長が今日本に研究留学中であり今年の北京大学訪問は見合せた。人民大学、北京外国語大学とも日程がうまくかみ合わず、結局北京では読売新聞北京支局の石井記者との懇談と北京駐在時代の中国の老朋友2人とホテルで会い近くで夕食しただけで、翌朝大連に向った。北京のホテルは飛行場に近い崑崙飯店であった。何の行事も無い北京滞在は今回が初めてである。テロ事件の後だけに中国の友人が日本とドイツを往復する私の安否を気遣ってくれたのには戸惑ったが嬉しかった。

大連空港では杜鳳剛先生(大連理工大学日本学部教授)が出迎えてくれた。

杜先生とは長い付き合いになる。神戸社会人大学の会合にも何回か参加して戴いている。5年程前には元学長の林安西先生(現在校務主任)と同行で神戸社会人大学・姫路バスツアーにも参加された。杜先生は大阪市立大学大学院で菅原道真の研究で博士号を取得され、日本と日本文化に対する造詣が深い。日本語のレベルも非常に高く日本人より格調高い日本語を話す。大連市では市政府の要職も兼ね、上層部の信任も厚い。昔から大連に行くときは何時も彼の世話になっている。2年前の中国視察ツアーで前学長の佐々木正先生を団長として訪問したときも、李副市長との面談、ホテルの予約、旅順・203高地の案内など、全て杜先生の手を煩わせている。杜先生とは、もっぱら大連市内のスーパーと新しく海岸に出来た海之郷公園を回りながら話した。大連は、「北の香港」を自称するだけあって、外資の参入が益々目立つ。市街地のインフラも郊外への道路状況も2年前の訪問時に比べ格段に整備されて綺麗になった。教育面では高校、大学への進学が年々競争が激しさを増し有名校に入るのはとても難しいという。大連理工大学は東北地方きっての名門大学である。日本学部が今年から開設されたので、杜先生の責任も一段と重くなっていると思う。神戸社会人大学の学生招聘制度には強い関心を示され、もし今後、機会があれば大連理工大学日本語科の学生にも招聘をお願いしたい旨の申し出を受けた。杜先生と半日一緒に大連を車で回ってもらい、夕方の便で上海に向った。

 

上海浦東新空港では8期生でインターネット担当の武市さんと7期生で目下上海駐在中の鳥本さんが待ってくれているはずである。今回ツアーでは、同一行動ではなく武市さんは関空から上海虹橋空港に直接飛び、鳥本さんの出迎えを受けた後、浦東新空港に私を迎えに来て3人が合流することになっていた。

 飛行機の到着時間が少し遅れたものの、3人が予定の場所で会えたときはさすがに嬉しかった。まずタクシーでホテルに行き荷物を降ろした。ホテルは南京路の百楽門飯店である。鳥本さんがよく使うところだと言う。値段も手頃で(約6000円)、足の便もよく、部屋も綺麗で気に入った。早速、食事に夜の上海をワイタンまでタクシーを飛ばした。上海名物の夜景を横目にすぐ和平飯店に入り8階にある馴染みの中華料理店でまずは再会の乾杯を交わした。いつ来てもこの店は良い。赤い絨毯が広い空間に調和して大陸的な雰囲気が寛いだ気分にさせる。窓越しに黄浦江を行き交う汽船を見ながら中国琴の生演奏をバックにして、チャイナドレスの可愛いウエイトレスの小姐(シャオチエ)に料理を注文し、ビールが入るともうそこから先は中国の世界だ。2人ともこのお店がすっかり気にいったようだ。酒とともに3人の顔がほころぶ。何枚か一緒にスナップ写真を撮った。食後は1階で名物のジャズを聞き(武市さんがジャズファンであったとは今回始めて知った)、帰りはワイタンの歩道を端から端まで話しながら歩いた。名物の夜景時間は既に終わり、河向こうの東方真珠と呼ばれる東洋一のテレビ塔がにぶく灰色に浮かび上がるだけで浦東一帯はすっかり暗い闇に覆われている。無事合流した上海の最初の一夜はかくて暮れていった。

 

2日目は、上海神戸館の訪問から始まった。9時にホテルに迎えに来てくれた鳥本さんの案内で、事務所が入っているビルまで歩いていった。ホテルから5分位の距離にある目抜き通りにある大きくて新しい高層ビルである。7階の事務所がこれまた立派で、中には畳の部屋まで用意してある。共同出資社の12社の宣伝コーナーには展示品や資料が並べてある。部屋の作りと装飾は8期生の黒田さんの手によるものだという。ゆったりとして日本的な良いオフィスだ。運営は組合形式の会社組織で、事務所経費は神戸市の負担という。うまく活用すれば面白い事業活動が出来るのではないか。例えば、神戸社会人大学が呼びかけ人となってここに年に1、2度、経済ミッションを派遣して投資セミナーを開くなど、いろいろの交流拠点としての活用が考えられる。他では高橋尚子の大きな写真と彼女が履いて走ったアシックスのマラソンシューズを展示する試みなどは話題性が有って面白い案と思う。また神戸社会人大学のロゴ入りの手帳などもここで注文すると格安で出来ることが分かった。鳥本さんが館長でいる今のうちにいろいろの神戸社会人大学のネットワークとアイデア活かした活動を何とか軌道に乗せたいものだ。

 神戸館の見学の後、復旦大学にタクシーで向った。校門まで旧知の徐静波さんに迎えに来てもらって日本学研究所に行く。彼は以前長野大学に留学していた。2階の応接室で陳建安所長、胡令遠さん、趙建民さんの主だった研究所の先生方と挨拶の後、約1時間半打ち合わせた。私から神戸社会人大学の説明と今後の両校の交流の推進打診をする。鳥本さんからは神戸館の近況を説明する。復旦大学は全ての申し出を好意を持って応諾してくれた。今回神戸社会人大学の説明資料を何も持って行かなかったのは失敗であった。紹介のパンフレットが無いのは何かと不便だ。今後の神戸社会人大学の緊急課題の一つだ。打ち合わせでは、今後、神戸社会人大学の学生招聘の機会があれば、陳所長が責任を持って復旦大学の日本語専攻の学生を推薦派遣するとの発言があった。また、神戸館に日本研究所の学生を見学に連れてゆき、畳で茶の湯の実習をやる計画が徐静波さんから出された。復旦大学と神戸社会人大学との間で今後各種の交流が考えられる感触を得た。打ち合わせ後、研究所の前で全員で記念写真を撮り、早めの昼食を大学食堂でとった。料理は盛り沢山用意されていて美味しい上、話題もいろいろと出て盛り上がり愉快な昼食であった。

復旦大学では最初のプランでは共同研究報告会にする予定であったが、こちらの日程と参加者がぎりぎりまで確定しなかったため、今回出来なくなったのは残念であった。もっともその分次回の楽しみが増したとも言える。

中国はいつも動いている。特に上海の変化は早い。上海ほど活気にあふれた都市は世界のどこにも無い。今世界で最も動きがあって面白い都市は東の上海、西のベルリンであろう。間もなくAPECで世界のトップがニューヨークのテロ事件以降初めて上海に集まるということで街はAPEC一色であった。まだ正式に決まってもいない2010年の上海万博の宣伝のビル広告まで現れているのもいかにも中国らしい。まさに上海は今や世界の顔であり世界の縮図である。

今回の上海訪問によって神戸と上海を結ぶ役割を行政、官と一緒になって我々神戸社会人大学のような民間団体が果たす時期がいよいよ近づいている感を強めた。とにかく、出発前の紆余曲折はあったものの、今年も神戸社会人大学恒例の中国視察ツアーの灯火を絶やさないで今後につなぐことが出来た。参加人数も滞在日数も今までで最も少なく訪問校も復旦大学一校だけであったが、成果は今までに勝るとも劣らないものがあったと思う。特に復旦大学と上海神戸館という2つの太い上海ルートが出来たことは大成功であった。            

      以上