ロシア便り 3  ロシアで学ぶ日露の大学生たち

              桜美林大学北東アジア総合研究所所長  川西重忠

              

1)「モスクワゼミ」について 続編 

               (集合写真)

「モスクワゼミ」について、最近考える機会が多い。大学派遣の海外研究のためのサバテイカル制度の趣旨からいうと、当該研究者が現地の大学で講義したり、ゼミ形式で他大学の学生に定期的に学習指導をすることはあまり歓迎されることではない。当制度の趣旨はあくまで専門を深め一意、現地で地の利を生かした在外研究に打ち込み、それを帰国後に論文や著作に結実させることを目的としている長期研究制度であるからである。

 しかし、表向きの制度はどうであれ、学問を研究と社会活動との融合したものとみるわたしのような研究者にとっては、現地の大学、留学生とのこのような活動形態も一つの研究方法であると考えている。何事であれ、企画し計画的に実行するには、継続に伴う時間的、経済的、精神的負担はもとより少なくないが、実際に招請講師やゼミ生に教わることの利得はいつもそれ以上に大きい。

 

「モスクワゼミ」は、モスクワに来て3カ月が過ぎ、モスクワの地理勘も大分でき、知人友人の紹介で企業の知り合いもできたころ、周りにいる日露の学生たちを対象にして立ち上げた「モスクワで日露関係を学ぶ」ゼミである。「モスクワゼミ」はその通称である。

ゼミ生たちにも有益であったようだが私にとっても同様であった。何よりもゼミ生を通じて、留学生の生活実態や留学への考え方が分かり、さらにある一定の方向付けと動機を与えると、彼女(彼)たちの学習意欲と潜在能力が鮮明になり磨きがかかることである。

留学はいつの時代も自分探しの旅でもあるが、モスクワでロシア語を通じて将来に夢をつなぎたいと考えるゼミ生たちとの交流は大学人の私にとっても有益で刺激的であった。

特に選抜したわけでない12名の彼女(彼)たちは極めて優秀であった。私の内外10年以上にわたるいくつかの大学での教師体験の中でも、意欲において、能力において、自己表現力と実行力において、間違いなくトップクラスの学生たちである。私はこのような学生たちとモスクワで出会えたことを誇りに思う。大学人としてこれ以上の幸せは無い。

(トヨタ 山田社長 報告)            

講師陣にも恵まれた。日露関係の重要問題である「北方領土問題」、「抑留者問題」の日露の大学教授による特別講義以外に、モスクワ現地在住の現役企業人トップが毎回講師を務めてくれた。生田章一(丸紅総支配人)、山田順一(トヨタバンク社長)、日比賢一郎(ソニー社長)の名前をあげて感謝の意を表したい。なかでも日比賢一郎氏(モスクワジャパンクラブ副会長)は、私との友情から協賛を引き受けてくださり、多忙の中を講師を務めてくださっただけでなく、優秀者にソニーの人気商品の提供をしていただいた。この頃からゼミ生のモスクワゼミへの取り組みと挑戦意欲が一気に高まった(ように私は思う)。

 

学生の評価には教師はいつも頭を悩ませるものである。それでも今回ほど最優秀賞を決めるのに困憊憔悴したことは無い。それほど評価が伯仲していたということもあるが、それに加え、日比社長の厚意で私自身も直前に知って「まさか」と驚くようなソニーの超人気商品を副賞に用意してくれたからである。

(ソニー 日比社長を囲んで)

ゼミ生たちのそれまでの出席、レポート内容、報告内容、貢献度を精査して、12名を半数に絞り、前日に3名に絞り込んだがそれでもまだ横一線で決着がつかない状態であった。「最終決定はゼミ生の最終報告を聞いたうえで決める」と前夜に全員にメールを送った。

ゼミ生には最優秀賞は前日までに3名が最優秀賞候補に残ったことは伝えたが、それが誰と誰かは明示しなかった。最優秀賞の副賞も、予想を超えたひとケタ違う商品だとは伝えたが、これもそれ以上は言及しなかった。(今もゼミ生以外には明言しないでいる)

ゼミ最終回の7日は、日比社長を飛行場に送り出してからゼミ生の報告が始まった。池田和貴君の自己紹介の後、山田和紀子さんに向かい「最終報告にはいります。山田さん、10分から15分で報告して下さい」と告げた。彼女が静かに立ちあがり席を移動してゆく。

 瞬間、部屋の空気がピリピリと震えるほどの緊張が走った。これほどの張りつめた直前の緊張感は私の長い教師生活の中でも初めてである。ゼミ生はみな知っていたのである、彼女のこの最終報告で最優秀賞の行方が決まることを。皆が見守る中、テーブルの前で彼

女の「緊張します」の声、それに続き「伏木富山港におけるロシア向け中古車輸出について」の報告が始まった。事前に送られていた資料はプリンターが不調で配布できなかった。

               (山田和紀子さん 報告)

 私は長年のゼミ指導の経験から、23分聞いただけで学生の報告概要とレベルは大体当たりがつくのであるが、聞いていてこれは素晴らしい報告だと直感した。テーマの独自性、資料の適切さ、内容の面白さ、報告態度の真摯さ、実証的で論理的な説明、質問に対する適切な回答、などなど評価に必要なものを全て満たしているのである。

 3カ月にわたる長期間のうち、いつのまにかここまで追いあげてきていた彼女の頑張りと気迫に深い感動を覚え、鳥肌が経つほどの衝撃を受けた。北陸の富山から一人でモスクワにやってきた、黒ダイヤのような大きな澄んだ眼をした、このおとなしい学生のどこにこれほどの挑戦心が潜んでいたのか、私は報告を聞きながらこれほどの緊張感の中、資料不備の中、このような報告ができる彼女の精神力に舌を巻いた。もちろん最高点をつけた。

 最優秀賞は3者同点の19点で並んだ(20点満点)。最優秀賞は、いつもバランスのとれた行動で存在感と安心感を与えつつ、適切な助言でゼミ貢献度の高い横井希実子さんと最後の報告で2人に追いついた山田和紀子さんの顔が交互に浮かんで迷いに迷った。

苦渋の判断の末「このモスクワゼミは私のためのゼミだ」と開始前から意気込んで最後まで軽快に飛ばしてムードメーカーとしての役割を果たし、我が家の地図を作成して講師や関係者に送ってくれた貢献度を評価して下濱さくらさんに決めた。いわばムードによる差で、タッチの差である。今以て、私は横井さん、山田さん二人の顔を直視できそうもない。

他の優秀者、修了証書受賞者も皆、長期間良く頑張った。今後に活きることを祈念したい。

以上、「モスクワゼミ」、最終日の顛末を記す。

 

2)ノボシビルスク大学訪問記

             (講義後の写真)

  ノボシビルスククはシベリア最大の都市である。語源からみても、ノボは新しい、シビルはシベリア(北)、スクは街、都市を指すところからおわかりの通り、シベリアにできた新しい都市である。シベリア鉄道の中間に位置する、地政学的にも交通の要衝の地として、わずかの期間に大都市に変貌した急成長都市である。現在の人口は150万人だが、100万都市になるまでに100年もかからなかった。それ以前はその西側にあるオムスクがシベリアの中心都市であったが、今はその座をノボシビルスクに譲っている。そのこともあり、今でもこの二つの都市は何かと張り合い、仲の悪いことで知られている。もっともシベリアの都市は、元はシベリア鉄道の関係か、政治犯や囚人の流刑地としての役割を果たしている街が多く、政府からみて半ば見放された地域であった。現在は、シベリアの広大な土地に2000万人の人々が厳しい自然環境の中で生活している。ちなみにオムスクはあの有名なドストエフスキーが流刑したところとしても知られている街でもある。

            (学生卒論発表会風景)

オビ川に沿ってできたノボシビルスクは、ちょうどモスクワとバイカル湖のイルクーツクまでの中間点にあたる。ちなみに街を流れるオビ川は上流をダムで止められ、ノボシビルスクの人は海(モーレ)と呼んでいる。海のように大きく長く、そして今は凍っている。極東のウラジオストックまではさらにシベリア鉄道で3日はかかる。ノボシビルスクは、シベリアの経済の中心地であり、機械、化学、重工業などが盛んだが、モスクワのような雇用の吸収力なく、大学卒業生と若者はモスクワに出てゆくものが多いという。現在、このノボシビルスクには大学が40ある。ノボシビルスク大学はシベリア随一の名門校として知られ、特に物理学、数学、化学、考古学は立派な業績を上げた学者研究者を多く輩出している。ノボシビルスク大学出身ということはここシベリアでは誇りなのである。

昨年8月にエストニアの首都、タリン大学で開催された「日本欧州学術会議」で、ノボシビルスク大学のイレーナ先生(東洋学科長)と知り合い、彼女の1月のモスクワ出張時に再会し、2月に特別講義を兼ねて訪問したものである。シベリアは初の訪問である。大学を案内していただいた後、ちょうど学生の卒論報告を私の訪問に合わせて行うというので参加させて戴いた。1人を除く他の10名の学生全部が女性であった。皆熱心で日本人顔負けのテーマを次々に報告する。報告時間は10分質問5分であったが、最上級生は4年生より明らかに日本語がワンランクうまい。この時期の1年という時間の持つ重みを感じさせる。この学生たちはみな日本が大好きで留学や日本行きを希望している。ただその機会がないのが現実のようだ。学生たちの報告テーマはいずれも面白い、どのような資料をもとにこの研究を進めているのかが興味あるが、図書館以外には、あまり十分の資料はないようだ。これも学生たちが日本に留学したい理由の一つなのであろう。

学生達の卒論テーマは本人と指導教官との相談で決まる。今回は次のようなテーマである。

@     城南宮における「曲水の宴」の研究

A     溝口精二の文学と映画の世界

B     ジャパニーズスマイルの笑いの意味

C     藤村の「破戒」と現代日本の部落問題

D     軍記物語「太平記」からの日本研究

E     「36計」が現代社会に持つ意味

F     アイヌのクマ送りの伝承について

G     日本語会話に占めるしぐさの役割  富山大学での調査結果から

H     幡隋院長兵衛に見る日本のやくざの歴史的研究

           (川西 ノボシビルスク大学での講義写真)

時間がなくなり、発表出来なかった学生が数名いたが、テーマが自由で日本を好きな学生の研究方向がある程度見えてくる。但し、これら多岐にわたる卒論テーマを指導する先生も指導が大変なのではなかろうか。

私の特別講義「日本の経済と文化」には、1年から5年まで30数名が参加した。部屋がいっぱいになり、それなりの講義風景ではあったが、肝心なパワーポイントが使用できず、口頭による報告になってしまったのは残念であった。講義終了後、挙手により感想を聞いたところ、ほぼ半分が良く分からなかったようだが、「日本に行きたい人」の問いには、全員が勢いよく手を挙げたのには苦笑した。4年生、5年生には日本語でもわかったようである。12年生には英語で説明した部分以外は理解できなかったのではなかろうか。後で、私の特別講義に1年生が分からないながらも一番熱心だった聞き、理由を尋ねたところ、いつも1年生が熱心なことには変わりはないのだが、今年の学生は特にそうだとの返事である。

東洋学部には、日本語学科のほかに中国語学科、韓国語学科の3カ国語があり、近年は圧倒的に中国語学科志願の学生が多くなっていた。ところが今期は一転して日本語学科志望の学生が殆どになった。それは、昨年、311日の東北大震災と福島原発の大惨事で、学生たちの間に日本への関心が高まり、日本語と日本を勉強し、将来、日本の復興のために役立ちたいという思いから優秀な学生の殆どが日本語学科を志願してきたのだという。私はこの事実を知り、驚き、学生たちの心情と熱心な態度に名状しがたい感情に襲われた。なにも震災に対するロシア学生への感謝という美談仕立ての意味からではなく、日本に対する若いロシアの学生たちの、この熱い思いにわれわれ日本人は、特に私のような大学人は何を以て彼ら(彼女ら)に応えればよいのかという重い問いかけである。

今以て、私はこの問いかけの渦中にいる。

 

3)モスクワ大学国際語学校(ツモ)留学生クラスとの日本料理会食会

ツモの留学生は世界中からやってくるが、近年は中国人と韓国人の留学生が目につく。

モスクワに限らず、お隣のウクライナでもそうである。キエフだけみても、日本人は学生ビジネスマン、政府関係者を入れても100人にすぎないが、中国人は留学生だけで8000人いるとキエフ大学の友人学者は教えてくれた。ロシアでもおそらく同じ傾向なのであろう。

ところがある日、ツモの3階の廊下を歩いていると、真ん中左の部屋が空いていて、若い学生たちの多くの顔が目に飛び込んできた。足がその教室の中に入っていった。おそらく若い学生たちの顔を見て、日本時代の大学での習慣で「これから講義だ」と足が勝手に思いこみ、自然にためらいもなく部屋の中に入っていったとしか説明がつかない。

仕方なく日本語で話しだすと、皆が熱心に聴きだしたのでこれまた驚いた。実は日本人だとは思っていなかったからである。若い生命力というべきか、反応の全てに勢いを感じ、記念に1枚写真を撮ったら、後ろの学生まで皆が笑顔で応じてくれる。素直なのだ。日本人学生と分かり、私はすっかり嬉しくなり、リーダー格の今井君にメールで写真を送り、機会があれば希望者に日本食を御馳走しても良いと書き送った。すぐ反応があり、皆が日本食を楽しみにしているとの返事である。後でわかったのだが、彼女たちは1カ月の短期

研修でツモに来ている1年生留学生であった。さらに殆ど全員が東京外国語大学の1年生であった。「ひょうたんからコマ」ではないが、こんな経緯で「一番星」という日本料理屋で部屋を借り切って16名に和食を招待することになった。学生たちは料理が出るたびに大騒ぎで、ケータイで写真をとったりしている。1万ルーブル少し位でこんなに喜んでもらえるなら大した出費ではないとこちらまで嬉しくなった。岸本店長もイメージマネージャーの早川さんも日本の留学生たちと一緒に集合写真に収まり、ご機嫌であった。

          (「一番星」での学生たちとの会食会)

帰りはメトロで近くまで一緒であった。学生たちは「モスクワ大学」で降り、私は次の「プロスペクト・ベルナードスカーゴ」駅まで乗っていった。「モスクワ大学」駅を動き出す時、何気なく学生たちのいた方向を見たら、メトロの私が乗っている車両に向かって、なんと皆で頭を上げ下げしているのである。思わず、「エッ」と言葉が出そうになった。

私の顔が見えるはずもなく、こんな事態を予想していなかったからである。翌日、モスクワゼミ生で東京外大の横井さんにこのことを話したら「そうなんです、東外大の学生はそうするんです」と答えるので、これまた驚いた。

何と言ういい習慣なのか、これほど嬉しい感謝の言葉を私は知らない。