ロシア便り  4、 「プーチンの涙」「日露の学生 続編」

                桜美林大学北東アジア総合研究所長  川西重忠

今回の「ロシア便り」ではモスクワでの3月帰国前の体験を2つ選びお伝えしたい。

その1.「プーチンの涙」

34日の大統領選挙の夜、私はクレムリンのマネージ広場にいた。家で夜のテレビニュースの選挙情報のテロップでプーチンが62%台の高得票で他の3候補に大きく水をあけているのを観て、虫が知らせて急いでクレムリンまで出かけて行った。メトロ1号線の「アホートヌイ・リャド」駅で降り、地上に出ると大変な人で身動きが取れない。四方を大群衆に囲まれ、かき分けて荷物探査機のゲートを通って広い道路の中に入ると、「統一ロシア」の旗が無数に立ち並び、ボリュームの高い音楽に合わせてダンスをするカップルや、デイスコに興ずる人で大変な騒ぎである。時折、地を這うような「ウッラー」の声が沸き起こり、その都度、旗が大波のように揺れている。皆、プーチン圧勝に酔いしれているのであろう。しばらく経つと突然、大勢の警官が隊列を組んで走ってきた、瞬く間に広場の周りを2重の垣を作って中に入れないようにしてしまった。

まもなく広場の中央あたりからひときわ大きい「プーチン」「プーチン」の歓声が湧き上がってきた。なんとプーチン本人がステージに現れたのである。一斉にサーチライトが上下左右を照らし、広場の周りに備え付けられた世界各国のテレビ放映機器が忙しく回りだした。前方の大きなスクリーンにプーチンの顔がアップで映し出される。プーチンの勝利演説が始まった。しかし、いつものプーチンの力強い演説とは何か違う。言葉が途切れがちで、むせぶような声である。時おり「ラシーア」、「シュパシーバ」と連発するのであるが、いつもように歯切れよく言葉がつながらない。アップで映し出された顔を見ると泣いているようだ。私は思わず目を疑った。プーチンが涙を流すとは全く想定外であったからである。ただ、その時はその場の雰囲気から、プーチンも感極まって思わず勝利の感涙にむせんだものだろうと単純に思い込んだ。帰宅後、急いで30年来、河合栄治郎研究の関係で旧知の木村凡先生(北海道大学名誉教授)にこの情景をメールで知らせた。木村先生からはすぐ「このような歴史的な時期にモスクワにいる学兄が羨ましい」と返事が来た。ところで、問題は「プーチンの涙」である。これをどう見るかでプーチンとロシアに対する見方が大きく変わってくる。

 その後、ベルリンに行き欧州の友人に聞くと、「プーチンにも人の心が有った」から「あの涙は演出の涙だ」までさまざまの意見と評価であった。今、私が一番、印象に残るのは、3月末、帰国直前にサンクトぺテルブルグ行きの夜行列車で同室になった35歳の法律家セルゲイ氏の次の言葉である。「プーチンの涙の説明は難しいが、2000年、2004年の選挙の時は、圧倒的多数の国民が歓呼の声で喜んでくれた、今回は反対の声が多く有るのに対する無念の涙だ、と自分は思う」というものである。その真偽のほどは私にはわからない。

 プーチンはソ連邦が続いていたならば、世に出てくることはなかった人物である。ゴルバチョフのような共産党のエリートでもなければ、エリチェンのようなカリスマ性もない、ソ連に何もなかったならば、上司と法に忠実な地方の有力官僚にすぎなかった人である。プーチンはソ連邦の崩壊後の混乱期に、ペテルブルグ人脈とKGB体験を活用して、機会を掴んでここまでのし上がって来たのである。

 

その2.日露の学生  続編

 1)モスクワ大学講義

3月末の帰国直前にあった2つの出来事を記して、日露の学生について考察してみたい。

一つ目は、321日のモスクワ大学での特別講演である。極東研究所研究員でモスクワ大学の講師パベル先生の依頼で行った講義のテーマは「失われた20年の日本経済の現状と日本的経営の行方」である。ロシアではノボシビルスク大学に続いて2回目の大学講義となった。会場は1755年に創立されたクレムリン近くのモスクワ大学旧館の2階である。当初は、「日本の歴史と文化、地理」についての講義内容であったので随分、気が楽であったが、講義3日前に上記内容の変更依頼を受け、その準備に2日間追われた。当日には準備したパワーポイントも使用できないのが分り、レジュメを1枚、大急ぎで作成して会場に向かった。パベル先生が入り口で迎えてくれ、20名前後の学生たちは既に教室で待っていた。

    (パベル先生とともに)              (講義終了後の集合写真)

日本語でよいというのでゆっくりと話した。後で聞くとやはり1,2年生には難しかったようだ。それでも1時間半の講義後の質問時間には、最前列に座って熱心に聞いていた4年生のマリアさんから、「昨年の東北大震災と福島原発による日本経済への影響はどうなのでしょう」というタイムリーな質問が来た。もちろん影響が有ったことをいくつかの事例をあげて説明したが、この大震災に対するロシア人の心情について、ノボシビルスク大学でもモスクワの日系企業でも日本への同情と復旧支援への厚い思いを聞いていたので、お礼の意味も添えて答えた。マリアさんは東京外国語大学に1年間留学したことが有るという。3月27日に行われる私の送別会への招待を伝えると、空いているのでぜひ出たいという。講義の感想もその時に報告してくれることになった。当日の受講学生の大半は女性であったが、成績の優秀なのも女性であるという。女性優位は何も日本だけの現象ではなくロシアでも同じようである。

 

2)モスクワゼミ生と日露関係者の会食会

 半年間の在外研究中にモスクワでお世話になった日露の友人たちとの会食会にモスクワゼミの学生たちとモスクワ大学のマリアさんを招いた。

 

参加者が予定の20名より大幅に増え30名近くになった結果、個室が使用できなくなり、結局、食べて飲むだけの会合になってしまった。各人が自由に食べ、話し合えたのでこれはこれでよかったのかもしれない。会場でマリアさんに先日のモスクワ大学での講義の感想を聞いた。立ち上がって居ずまいを正し「川西先生は日本の良さを、いくつか事例をあげて説明されたが、ロシアにも良いところは有ります。ロシア人学生としては、ロシアにもコレコレの良さが有ります、しかし日本にもこんな良さが有る、と並べて説明してくれたら理解もしやすい上、私たちも嬉しかった。後半の企業経営についての部分は初めて聞く内容であり、大変面白く有益だった」。日本人のようなおとなしそうな顔をして結構きついことをはっきり言う。彼女は博士課程志望で、その時は再度、東京外国語大学に留学したい希望を持っている。今回の参加に対しての日本人との出会いに「袖すり合うも多生の縁」だと応えて喜びを伝える。こんな日本の諺(ことわざ)をこのロシア人女性はどこで覚えたのだろ

う。

 

 

(モスクワ大学のマリアさん)

今回の会食会に6名が参加したモスクワゼミの学生も粒ぞろいだった。最優秀賞をかけての下濱さくら、横井希実子、山田和紀子さんの3名の最終日までの大接戦には評価する私も興奮した。優秀賞の和田紗代子、水野頌子、クルネバ・ポリーナさんの3名もそれぞれ持ち味を発揮した。修了者全員が3ヶ月間、良く頑張った。良いゼミ生たちに恵まれた。

今回の送別会食会を含めこのゼミ生たちと3ヶ月間、「モスクワで日露関係を学ぶ」共通体験したことが、モスクワでの一番の思い出になるかもしれない。

                     (日ロの会食会での集合写真)

御参考までにモスクワゼミの修了者を以下に記す。

 

モスクワゼミ修了者(順不同)

匂坂ゆり     学習院女子大学大学院修了

斎藤深野     上智大学ロシア語3

下濱さくら    中央大学商学部3

山田和紀子    富山大学人文学部3

横井希実子    東京外国語大学ロシア語科3

水野頌子     東京外国語在学ロシア語科3

和田紗代子    早稲田大学文学部露文3

クレネバ・ポリーナ  ロシア科学アカデミー研究員

小柳 耕     札幌大学ロシア語科4

池田和貴     モスクワ大学国際語学校在学

峰尾 聡太    早稲田大学法学部3

(上記以外に一回のみの参加者は、名を数えた オブザーバー参加者4名)

 最優秀賞は下濱さくらさん、優秀賞は横井希実子、山田和紀子、水野頌子、和田紗代子、

 クルネバ・ポリーナさんであった。

 開催期日は、20121月〜3月  5回開催

 ゼミ協力者は以下の通り  

  ゼミ主催  川西重忠  桜美林大学教授、北東アジア総合研究所所長

    講師  コンスタンチン・サルキソフ  山梨学院大学名誉教授

    講師  富田 武  成蹊大学法学部教授

    講師  日比賢一郎 ソニーロシア社長

    講師  山田順一  トヨタバンク社長
    講師  生田章一  丸紅 執行役員、ロシア・cis総支配人

協賛  ソニーロシア