(濱海県紹介3)

先日また、田中角栄元総理にまつわる話を聞いたので紹介しておく。30年前の日中国
交回復を確認した歴史的会談のときに田中角栄元総理が周恩来総理に向かって、自分
は天台宗徒なので天台山に行ってみたいと言ったようである。天台山はせっこう省に
あり後に伝教大師と呼ばれた最澄が中国への留学僧として仏教を学んだところであ
る。位置は杭州の南東目測180kmぐらい、上海からだと丁度真南250kmぐらいであるが
それ以外は不案内のため紹介できない。最澄は帰国後比叡山に延暦寺を創建し真宗・
日蓮宗などもここから枝分かれしているので日本仏教の草分けである。そういえば比
叡山のお堂の中に当時の人物画が架けられており中国僧も描かれていたことを思い出
した。日中会談当時は文化大革命さなかであり実は仏教施設の多くが破壊されてい
た。天台山も同様であり国賓をもてなす用意などない。周総理は2年後に来ていただ
ければご案内しますと言ったようである。果たして2年後修復なった天台山と日本の
天台宗との交流が始まり、毎年数百人規模の宗徒が天台山を訪問し今日も続いている
そうである。歴史の重みを感じざるを得ない。以上のことは天台県日中友好協会職員
から聞いた話である。
私の体験する中国生活には様々な出来事があるが、残念ながらわざわざ項目を起こし
てまで諸兄に紹介をする程の表現力・伝達力がない。しかし、中国事情の多面的理解
には有用でないかと思われることも多々ある、本文にエピソード等を挿入する所以で
ある。文脈錯乱駄文となることをお許し願いたい。
さて、旅の続きである。人口のことを忘れていた。江蘇省には7000万人が住んでい
る。日本人口の半分以上、大変な人数である。安徽省には6000万人、江西省には5000
万人、上海市を加えると合計2億人近い。1市3省にまたがる長江プロジェクトの中国
側組織はとんでもなく大きい。事業提携を希望するならばほとんどの業種について可
能であろう。しかし広大なことと情報不足により相手方企業の所在を探し出すことは
難しい。今回の濱海県紹介はそのひとかけらにでもなれば幸いである。神戸市中国ア
ジア交流室からの情報では、安徽省でプロジェクト推進のために百数十社からなる企
業協会が設立された旨のニュースがあった。江蘇省も同じように企業協会を設立する
らしいので本格的な企業間交流への期待がかかっている。日本企業側は受動的になら
ずに提携内容方法を積極的に模索し逆に自社に必要な事項を中国側に要求することを
望みたい。また、肝心なことはビジネス情報を噛み砕きお互いの事業分野に適用する
役割、コーディネーター役が必要なことである。全企業にわたって1箇所でコーディ
ネートすることは無理があり、各分野・業種ごとに自らグループをつくりコーディ
ネート役を設ければビジネスマッチングのチャンスははるかに多く生まれるはずであ
る。
いよいよ濱海県の街中に入った。中国での私の物価判断だが、その町の物価はタク
シー料金を一つの目安としている。タクシーは町に入ってすぐにお世話になるしメー
ター表示でわかりやすいからだ。上海は初乗り10元。これと同じなのは杭州。南京は
7元。今年の日中会議開催場所である合肥は7元とあるが小型が5元で走っているので
交渉すれば普通車でも5元でOKの場合もある。義烏(ぎう、別途紹介予定)も5元。
ところがこの町は・・・タクシーがいない、いやどこかにいるのだろうがついぞ見か
けなかった。その代わり人力車は多い。准安市では流しのタクシーは少なくバス発着
場で乗合タクシーが客引きをしているのを見かけた。このあたりでは社用車がなけれ
ば仕事にならないだろう。タクシーの役割は外来者からすればその町の窓口でもあ
る。数年前、武漢市で空港タクシーの乗車でひどい目にあった。夜1人で空港に着き
ホテルに行こうとしたら客引きがタクシーを勧めてくれてホテルまで行った。客引き
も助手席に座っており料金支払時に過大な要求をしてきた。それまでよくあること
だったがそのときは頭に来て交渉し法外な料金からはかなり値引きをさせた。武漢市
政府との会議の席上私の事例を説明し、外国企業を誘致するには外国人が安心できる
環境が必要なことを申し入れた。タクシーは誰もが利用する交通機関であり、その町
の印象を左右する。3回目に武漢市に行ったときのことである、市内のバスターミナ
ルから発車するタクシー乗り場にも係員がいて発車するタクシー全部の番号を控えて
いた。問題が起こればすぐ対応できるようにするためである。訴えが功を奏したのか
どうかはわからないが、対応のよさについてそのときの会議では感謝を申し上げた。
やっとホテルに着いた。所要時間7時間。その内昼食時間と渋滞時間を差し引くと5時
間、予定通り。「あと2・3年すれば上海から直接高速道路で結ばれるので3時間で来れ
ます。」と言ってたが距離からすると4時間はかかるだろう。上海−南京間より少し
遠いのでそんなもんだ。到着したホテルは勿論濱海県で一番良いホテル、政府の接待
所もかねているようだ。“歓迎鳥本先生”の表示板と濱海県党書記の出迎えには閉口
した。何しろ土皇帝より上に立つ身分の方である。休養気分がいっぺんに吹っ飛ん
だ、明日は何を言われるだろう・・・。まずは一旦部屋に入った。案内された部屋は
ホテルと別棟になっている接待所の方で2階建ての2階の部屋である。内部は三星ク
ラスの外観からは想像が出来ないほどであって、南京の五星金陵飯店よりずっとい
い。豪華というのでなくすきっとしている。窓を背に事務机が一つ置かれているがま
るで応接セットのように天板には板ガラスがはめ込まれおしゃれである。白い壁に茶
褐色のボードが落ち着いた雰囲気をかもし出し、ホテルでなく自室のようなくつろい
だ気分を与えてくれる。そういえば何処のホテルも壁には絵画や飾り物があり見た目
にはいいのだがなんとなく落ち着かないのは白一色のなかに閉じ込められていること
が原因なのかとも思う。ベッドに座ってみると硬い、これもありがたい。中国ではい
つもベッド生活だがそれはもう慣れた。慣れすぎてしまったきらいがある。床に直接
座ることが殆どないので日本に帰ると胡座すわりをするのに時間がかかる。股関節が
開きにくいのだ。「よいしょ」という言葉がつい口に出て、手とお尻を床につけ、足
首をゆっくり手前に引き寄せ両足の重なり具合を調節して胡座すわりが完成する。胡
座すわりがこんなに難しいものとは思ってなかった。単に運動不足のせいなのか、生
活習慣の変化によるものか。かつて、アフリカでマッチが文明国から持ち込まれたと
きに、摩擦熱で火をおこすための作業が2年間でできなくなってしまったという記録
がある。私も駐在2年になるので気をつけよう。ベッドが硬い、畳の上で長らく生活
していたものにとって柔らかいベッドは疲れる。硬いベッドは畳のようで横になると
気持ちが良い、今日はぐっすり眠れそうだ。お風呂はバスタブの上にドア−がついて
おり小さい部屋に入るという具合である。お分かりいただけるだろうか。シャワーの
お湯がバスタブの外にこぼれない仕組みだ。丁度シャワーカーテンの代わりにドア−
がついていると思って欲しい。中国のホテルは何処も同じようにバスタブの上部排水
口の位置が低く、底に張り付くように寝てもおなかの頂上が水面上に出てしまい体を
全部暖めることができない。ところが浅いバスタブ対策があった。その発見者はまた
してもわが妻である。その方法とは、お風呂のシャワーカーテンの端を引っ張り、上
部排水口をふさぎ上から足で押さえつけておくのである。長時間は無理だがしばらく
はお湯が流れ出ないのでバスタブ一杯まで浸かることができる。この新発見によりお
湯に浸かっていないおなかを暖めるため腹ばいになる動作、お湯の中で体を裏表ひっ
くり返す作業がなくなった。おかげで体の疲れはとれるようになり、あとは神経の疲
れを残すのみである。ここのホテルはシャワーカーテンがない。お湯も十分に出な
かったので、冷たい水で体を拭った。このおしゃれなホテルの唯一の欠点としておこ
う。日本人と違って中国人はお湯の中に浸かる習慣がない。むしろ浸かるとお湯の圧
力で苦しいようだ。シャワーだけあればいい。成人後日本留学する中国人は何年経っ
てもシャワーだけでよい。われわれは体を浸してしまわねば疲れがとれない。これが
習慣の違いというものである。では、小・中学時代5年間日本生活をした通訳さんは
どうか。彼女はお風呂に浸かる。毎日ではないがお風呂では音楽を聞いたりして長湯
だそうだ。生活スタイルは10代までに身につき大人になっても容易に変わらないこ
とをお風呂の入り方を通じて教えられた。ついでに韓国人もお風呂に浸かる。世界中
でもお湯に浸かる種族は少ないようであり、日韓の文化は近い。

鳥本敏明