提案報告 満蒙地域研究の今日的意義
川西重忠(北東アジア総合研究所所長)
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中国の東北地域の研究に際しては、未だセンシティブな側面も見受けられるが、北東アジア総合研究所として、旧日本統治下にあった満州国時代における、この地域の文化、歴史、制度等について探究する必要性を常々感じていた。具体的な事例や、その背景となる歴史的状況の研究等を通じて、中日間の相互理解を深め、お互いの交流や活動の検討にまで繋がるようなプロジェクトを考えている。研究所として、出来得ること、出来無いことは、当然あるので、具体的なテーマを予めこちらで決定してしまってから進行するのではなく、幾つかの事例を検討しながら出来る範囲での方向性を見定めて参りたいと思う。
今回の会合では、そういった討議を始める場として、中国を中心とする東アジア史に深い造詣をお持ちであり、また旧満州奉天の御生まれであることから、この地域に非常に熱い思いを抱いておられる当研究所顧問の衛藤瀋吉先生に、御自身の体験に基づいた御話しをして頂くことを予定している。
研究所としても、幾つかの研究プロジェクトを抱えている中、毎年、夏季に、一週間ほどの日程で、かつての満蒙地区に於ける歴史的事例の調査に赴いている。その一つとして、内蒙古のノモンハン近辺に於ける旧満州時代の日本の教育制度の状況の検証を試み、その際に、現地の初等教育に真摯に取り組み、献身的な努力を重ねられた「田代先生」という日本人教師の事例を見出すことが出来た。現地の人々は、そうした日本人教師の功績を代々語り継いでいたが、日本や中国国内の社会においてはそういった活動は余りに知られていない。また、今回、知見を得たことであるが、旧満州からの引き揚げに際し、犠牲となられた日本人の方々を祀る「方正日本人公墓」の存在も大変に貴重なものであると思う。戦後、60年余を経過しながらも、そういった事例の本当の姿が後世に伝えられていないと感じられ、現代に生きる我々が心に留めておくべき内容でありながら、過去の出来事として風化されつつあるのではないか。
こういった小さな逸話を悪戯に美談としてしまうことは望まないが、こうした事例を取り上げ、検証することで、新たな礎として交流の活力を生み出し、将来の具体的な活動に繋がる面も出て来るのではないかと思う。